人生に飽きたまま生きるデメリットとは?
ここでは人生に飽きたまま生きることで生じるデメリットについて考えてみましょう。
不満ばかりが溜まっていく
飽きてしまったことを無理やり続けていると、精神的に無理が生じ不満ばかりが溜まっていきます。食べ物で考えるとわかりやすいですが、飽きてしまった物を無理して食べていたら気持ちが悪くなってしまいますよね。
精神的な不調は見た目で判断しにくいため、「我慢が足りないからだ」などと根性論で押し通す人もいます。しかし、人生に飽きたがゆえに生じた不満をなかったことにするのはとても難しいことです。溜まった不満は、その人の性格や考え方を歪めてしまう可能性すらあります。
人として成長できない
人生に飽きたということは、日々の生活に対する満足感が低くなっているということです。人はなにか新しいことに挑戦している時、飽きるという感覚を持つことはあまりありません。
例えば、毎日同じおもちゃで遊んでいるように見える赤ちゃんでも、おもちゃの扱い方を少しずつ変えています。たとえ一つのおもちゃしかなくても、本人が新しい発見や工夫をし続ける限り、飽きるということはありません。
「人生に飽きた」と考えているということは、新しいことに挑戦することや、工夫することを放棄していることを自ら認めてしまうことです。
愚痴っぽくなる
人生に飽きたと感じてしまうと、「自分の人生はつまらない」「こんなにつまらないのは自分のせいじゃない」と全ての不満を誰かのせいにしたくなってしまいます。
愚痴を吐く癖を一度つけてしまうと、そこから抜け出すのはかなり大変です。愚痴を吐いている瞬間は気持ちよくなれますが、相手が相槌を止めた瞬間に新しい愚痴がたまり始めるからです。
愚痴ばかり言っている人は、話を聞いてくれる相手の時間と精神をひたすら消耗させます。愚痴のゴミ箱にされることに嫌気がさした人は静かに去っていきますので、次第に友人がいなくなってしまうことが多いです。
周りにネガティブな人ばかり集まる
愚痴っぽい人の周りには、愚痴っぽい人が集まりやすくなってしまいます。他に愚痴を聞いてくれる人がいなくなると、愚痴を言う人同士で傷のなめあいをする傾向があるのです。
そして、人生に飽きた人は「自分が一番不幸だ」と感じることが、人生の唯一の楽しみになってしまうことがあります。お互いにネガティブな不幸自慢ばかりをしていても、得られるものはほとんどありませんよね。
愚痴を言いたくなる根本原因は人生に飽きてしまっていることです。愚痴を言うことで本心をごまかせるのかもしれませんが、「人生に飽きた」と感じている限り、ネガティブな友人関係から抜け出すのは難しいでしょう。
「飽きた」感覚に気づけなくなる
人はどんな環境にも慣れてしまう生き物です。「人生に飽きたな」と感じているうちはいいですが、それを放置しておくと「飽きた」という感覚すら感じなくなってしまうでしょう。
自分の人生に飽きたことに気づけなくなった時、それは自分の人生を失ってしまうことと同義ではないでしょうか。自分の人生を楽しめず、他人を羨むばかりの毎日を送っていては、最期の瞬間にきっと後悔します。
「人生に飽きたな」という感覚があるうちに、自分の人生を楽しむためのスキルを少しずつ磨くことをオススメします。
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