伊達男の意味・語源とは?女性にモテる「伊達男」の特徴も解説

  • 「伊達男」の由来である伊達政宗はどんな人物?

    それでは次に、「伊達男」の語源ともなっている人物、伊達政宗についてご紹介します。おしゃれで粋な戦国武将である彼は、いったいどのような人物なのでしょうか。

    伊達政宗とは


    伊達政宗は、出羽国と陸奥国の戦国大名です。戦国時代の後期に生まれ、戦で命を落とすことなくその乱世を駆け抜けました。今でいう仙台の武将であったので、仙台には伊達政宗の銅像が建てられています。

    その人物像は戦国武将としては少し特殊で、かなり目立った人物でありました。幼いころに片目を失ったことから隻眼の武将であり、のちのちにつけられたあだ名が「独眼竜」。なんともかっこいい呼び名がついています。

    伊達政宗は、戦ではなく病気で命を落としてしまうのですが、その際に死に顔を妻子に見せないようにするなど、かなり粋なエピソードが残されています。「伊達男」の語源となった人物なだけあって、かなりかっこいい人物でした。

    伊達政宗はパフォーマンスで有名?


    「伊達男」の語源となった男、伊達政宗。パフォーマンスがかなり特殊であったことが語られています。特に有名なエピソードが、遅刻などの言い訳に関するもの。伊達政宗は、豊臣秀吉など自分よりえらい武将に対して、遅刻や反乱未遂を繰り返し行っていました。

    当時の感覚でいえば、死罪に値します。ですが、先ほど紹介したように、伊達政宗は晩年まで戦で死ぬことなく生き抜いています。つまり、許されているということです。どうやって許されたのでしょうか。

    その理由は、パフォーマンスにあります。豊臣秀吉に謝罪する際に死装束で謝りにきたり、自分で巨大な十字架を背負ってきたりしています。殺される覚悟があると示すための派手なパフォーマンスに圧倒されたのか、反乱未遂や遅刻で殺されることはありませんでした。

    戦装束がかなり派手だった?


    振る舞いがかなり派手であった伊達政宗ですが、実は戦装束もかなり派手です。戦国時代は、えらい武将になると、自分の好みの甲冑を着ることが多かったのですが、伊達政宗の戦装束は群を抜いて派手でした。

    三日月のような飾りのついた巨大な兜を、ドラマやゲームなどで一度は目にしたことがある人もいるのではないでしょうか。これに加え、伊達政宗は自分の軍の装束も派手にさせていたといいます。伊達軍を見た人が思わず歓声をあげてしまったというエピソードも残されており、かなり目立った存在でした。

    このころから、伊達政宗や伊達軍のような派手な装いをする人間のことを、「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。伊達男のような言葉は、このころからあったということです。

    伊達政宗は実は料理男子!


    料理は女性の仕事、という思想が根付いていた戦国時代において、実は伊達政宗は料理男子であったことが伝えられています。美食家であり、岩出山名物の凍り豆腐と納豆は伊達政宗が生み出したといわれるほど、熱心な研究家でもありました。

    また、料理に関する意識も高く、「ごちそうとは主人が自らだすもの」という意味の名言を残しています。これは今でも語り継がれており、料理の専門学校などで校訓になるほどです。

    主人や従者の考え方を根本から覆すこの思想は、戦国時代においてかなり珍しいもの。戦国時代の伊達男は、おしゃれでかっこよく、内面もかっこいいリーダーでした。