元祖昼行灯キャラ!大石内蔵助とはどんな人物?
「忠臣蔵」とは、江戸時代に実際にあった出来事をベースにしたわかりやすい勧善懲悪のストーリで、昔から人気のあるお話です。物語のクライマックスが12月であることから、年末になるとよく見かけるようになります。
主要人物の「大石内蔵助」が「元祖昼行灯キャラ」と呼ばれ大変人気があり、有名です。ここでは、忠臣蔵の大石内蔵助について見ていきましょう!
江戸時代前期の武士
大石内蔵助は、江戸時代前期から中期の武士です。21歳で播磨赤穂藩の筆頭家老になりますが、特に働きがいいわけでもなく平凡な人物だったため「昼行灯」と呼ばれていました。1686年に、他藩の筆頭家老の娘「りく」と結婚し、2男1女をもうけています。
主君である浅野内匠頭が江戸城で吉良上野介を相手に「刃傷沙汰」を起こし、即日切腹を命じられます。幕府の処分は赤穂藩にのみ厳しいものでした。それにより「吉良邸に打ち入って仇討ちする派」と「御家再興派」にわかれてしまった藩士たちを、内蔵助はどっちつかずののらりくらりとした態度で、分裂しないようまとめていました。
御家再興が絶望的になったことを受けてから、内蔵助は討ち入りを決め、綿密な計画を立てます。1702年12月15日、47人の赤穂浪士を引き連れ、見事討ち入りを果たしました。1703年、幕府の命により45歳で切腹し、生涯を終えます。
人形浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で有名
「仮名手本忠臣蔵」は、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目のひとつです。赤穂事件を題材とした物語で、1748年大坂竹本座で初めて上演されました。現在「忠臣蔵」で親しまれているお話は、この「仮名手本忠臣蔵」が元ネタです。
「仮名手本」は、赤穂浪士47名をいろは四十七文字になぞらえたところからつけられています。
映画やドラマで大人気!忠臣蔵のあらすじ
事の発端は1701年、大石内蔵助の主君である浅野内匠頭が、抜刀禁止の江戸城内で吉良上野介を刺すという「殿中刃傷事件」を起こしたところからです。これに対し、将軍・徳川綱吉は浅野内匠頭に即日切腹を言い渡しました。当時、武士の揉め事は「喧嘩両成敗」で同じ処罰になるはずなのに、相手の吉良上野介はお咎めなし…。
当時は悪名高い「生類憐みの令」が施行されていた時代、江戸の住民も幕府に対し不満を持っていたため、赤穂浪士が吉良邸に打ち入って主君の仇を取ることを期待します。
入念な準備期間を経て刃傷事件から1年7か月後、大石内蔵助は赤穂浪士47名を率いて吉良邸に討ち入り、見事吉良上野介の首を取り仇討ちを果たします!
江戸の住民は討ち入りを褒めたたえ盛り上がりますが、幕府は法を曲げることはできないとし、赤穂浪士は全員切腹となりました。
「忠臣蔵」での大石内蔵助はこんな人
元祖昼行灯キャラと呼ばれるだけあって、普段の働かないっぷりは相当のもの。のんびりとしており「討ち入りなんて考えていませんよ」と吉良や江戸の住民を欺くように描かれている話がほとんどです。仲間である赤穂浪士の中にも、そんな大石内蔵助の態度を真に受けて「なぜ仇を討とうとしないのか!」と怒り出す者も…。
表向きは、ぼんやりしたり遊びまわったりしているだけのダメな奴とみせかけている、典型的な昼行灯です。しかし裏では「主君の恨みを果たすべく討ち入り」と「藩士の暮らしが大切、御家復興」の2本立てで、ちゃんと計画を立てていました。
御家復興が叶わないとなると、浪士をまとめ見事討ち入りを果たす敏腕っぷりを見せます。
スゴレンは、「男女の恋愛の本音」を集めた恋愛アンケートに基づいて作成した女性向け恋愛コラムを提供しております。さまざまな恋愛シーンで活用できるコンテンツを配信中!